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流派から多様性へ
戦前の美術団体は流派や思想を核としていたが、戦後の美術団体の意味合いは変容していく。各団体はそれぞれの特色を持ちつつも、個人の力量に比重が置かれるようになる。次第にジャンルレスとなり、昭和の美術界は百花繚乱の時代になる。
個性派・ジャンルレス
社会派・前衛美術
終戦後、様々な抑圧から解放された画家たちは、新しい美術を模索する。政治的・思想的な団体も登場する一方で、戦争体験を芸術的に昇華する活動やポスト・モダンを目指す制作活動も行われた。当初は「前衛」と呼ばれた活動はやがて「現代美術」へと収斂されていく。
【前衛美術会】(1946年)
1946年、美術文化協会から分裂して「平和文化革命の達成」を標榜した団体である。ルポルタージュ、シュールレアリスム、モンタージュなど手法を取り入れて、痛烈な権力批判を行った。「旧プロレタリア美術系の「素朴リアリズム」(社会主義リアリズム)とも、モダニズムの前衛主義とも一線を画し、芸術の前衛と政治の前衛」との一致を目指す活動(酒井哲朗「民衆絵画の運命〜尾藤豊の軌跡」)でもあった。
【日本美術会】(1946年)
1946年に内田巌を書記長として創設された左派美術団体。共産党の文化部門であったが、創立当初は多くの画家が参加した。1947年無鑑査・無褒賞の日本アンデパンダン展を開催。芸術性よりも政治的イデオロギーで結びついた団体といえる。
『近代日本美術事典』(1989年)講談社
『20世紀物故洋画事典』(1994年)美術年鑑社


