高村 真夫「ラバクール村(パリ郊外)」1915年,F10号,油彩・キャンバス
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印象派ゆかりの地・ヴェトゥイユにて1914年シベリア・モスクワ・ドイツを廻ってパリに到着した高村真夫は、山本鼎、正宗得三郎、森田恒友のいるヴィラ・ファルギュエールに入居した。しかし同年7月末に第一次大戦が始まり、8月にはパリも危険性が高まりロンドンへと避難することもあった。1915年1月に再びパリに戻り、4月山本鼎、正宗得三郎、森田恒友とヴェトゥイユ村を訪れた。ちなみに正宗得三郎の《ヴェトゥイユの春》は三重県立美術館に、森田恒友の《ヴェトゥイユの春》は埼玉県立近代美術館に所蔵されている。帰国後に出版した高村真夫『欧州美術巡礼紀』(1917)に「ラバクール村」に関する記述がある。渡し船で通じて居る河向の「ラバクール」村は地平線霞む平野を背にして河岸に臨んで僅かな家並が寂しく立ち並んでいる。流れには「アーブル」港から巴里の方へ上下する大きな荷船が幾艘となく毎日蒸気船に曳かれて通っている。「ポプラ」の並木繁れる河畔には瀟洒な別荘がポツポツ建てられてある。高村真夫はどこか学者肌のような達観した視点をもった画家であるが、さすがにモネゆかりの地で心を躍らせたのではないだろうか。同時に戦火を意識した旅の中、ようやく美術と集中的に対面できるひと時であったのではないだろうか。それにしても、この穏やかな風景の外側では、史上最大の殺戮が行われていたことは今では想像することは難しいかもしれない。その後は正宗得三郎、青山熊冶、山本鼎らとリヨン滞在し、1916年帰国のためパリを発った。ロンドンからスカンジナビア半島・ロシア・ハルビンを経由する大旅行だった。 |
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高村 真夫1876-1954新潟市生。本名は正男。父・茂十郎は元長岡藩士。1889年私立長岡学校に入学。1899年上京し不同舎に入門。同期に青木繁、小杉未醒らがいた。1902年太平洋画会会員。1907年東京勧業博覧会で三等賞。第1回文展でも三等賞、翌年・翌々年も三等賞を受賞。1914-16年滞欧。帰国後は官展に出品する傍ら、太平洋画会研究所で教鞭をとる。1928年帝展で推無鑑査となる。1944年長岡に疎開。1954年長岡で歿。
他の作品−「静物」 1914年 |