林 倭衛1895-1945長野県上田市生。印刷会社で働く中、日本水彩画研究所に学ぶ。大杉栄とも出会う。1917年二科展で樗牛賞、翌年には二科賞を受賞。1919年には大杉栄を描いた「出獄の日のO氏」が撤回命令を受け話題となる。1921-26年渡欧。セザンヌに影響を受けた作品を制作。23年には渡仏の大杉栄の世話をする。帰国後は春陽会に参加。1942年新文展審査員となるが、1945年急死。1957年ブリヂストン美術館。1967年信濃美術館などで回顧展。参考文献−小崎軍司『林倭衛』(1971)三彩社 |
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林 倭衛「緑蔭(滞欧作)」1921-26年、油彩・キャンバス F8号 |