コラム「太平洋画会前史としての高橋勝蔵」

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高橋勝蔵の晩年は不遇だった。シカゴ万博で一等を受賞するなどアメリカで大成功を修めた。帰国後は画壇のスターになるはずだった。黒田清輝と同じ年に帰国したのが不運だった。帰国後、発表の舞台であった明治美術会では、高橋勝蔵の滞米作も注目されたものの、黒田清輝の滞仏作が主役となり、外光派の時代へと変わってしまった。その後、文展にも太平洋画会にもあまり関らず、大酒を食らい文人画まがいの絵を描いていたという。それでもアメリカで初めて成功したパイオニアには変わりない。三宅克己らといった渡米画家たちを勇気づけ、太平洋画会の誕生には欠かせない画家であった。

−参考文献−
松浦昭『高橋勝蔵の絵画』(1982)
『アメリカに生きた日系人画家たち』(1995年)東京都庭園美術館
児島薫編『日本の美術352〜鹿子木孟郎と太平洋画会』(1995年)至文堂

(2003年1月筆)

 

高橋 勝蔵 「静物」 1908年 油彩・キャンバス F40号

©Keiichi INOHA