<裏書き>
額誌 天皇陛下近衛諸隊、御親衛明治六年四月二五日ヨリ五月一日ニ至リ、下総小金原御露営之景況、近衛部隊西郷隆盛幕僚、篠原国幹、村田新八、等ト共ニ昌宗近衛歩兵、○○○○○、本額向右方ノ天営ハ玉座、本図写真ヨリ写。石丸昌宗
芙仙=石丸昌宗?
このとしの五月、まだ齢若い明治帝が、西郷のひきいる近衛の親兵の演習を千葉の陸軍演習場において閲兵したことがあった。 その演習場はこう茫とした上古以来の不毛の台地で、土地のひとびとから大和田原とか小金ヶ原とかよばれていたが、この演習のときこの地をあらたに習志野と名づけた。帝は、天性詞藻がゆたかであった。 演習中、ずっと雨であった。帝は馬に乗り、西郷はその背後をずぶぬれになりながら徒歩で従った。このときの西郷の服装は陸軍大将の正装で、腹を白帯でぐるぐる巻きにし、太刀を帯びていた。足はわらじばきである。 司馬遼太郎『翔ぶが如く(一)』文春文庫,p105より
中央が西郷隆盛、右奥が玉座(明治天皇)