中丸 精十郎

1840-1895

1840年甲府生。満田信了について書を、京都で日根對山に絵を学ぶ。1872年上京し、川上冬崖に師事する。74年陸軍に出仕する一方絵の修行を続け、また解剖学も学ぶ。同年玄々堂から台湾高砂族の石版画を出版。陸軍文庫の『写景法範』、蘭の図鑑『寧靜画式』『洋式画手本』などの挿絵を描く。83年将官8人の肖像を描いて肖像画家として名をなし、翌年大山巌、川路利良、樺山資紀らの肖像を描く。東京神猿楽町に画塾を開き、藤島武二、大下藤次郎、石川寅治、山下りん等の門弟を育てる。89年明治美術会創立に伴い会員になる。

-画家メモ-

肖像画家として人気を博した中丸精十郎は住友家からの依頼を受けた。画料千円を受け取る。しかし骨董品に余すことなく費やしてしまったそうだ。

−参考文献−
青木茂「金峰のこと」『中丸精十郎とその時代』(1988)山梨県立美術館

中丸 精十郎 「雪景」 油彩・ボード 44.5*32p