(4)職美研と杉本鷹

戦後の画壇編成は急速に進められています。憲の帰国は昭和21年、翌年の春には古巣の独立美術協会展に出品、準会員に推されます。さらに翌昭和23年一月には新宿上落合1丁目へ居を移します、新宿と高田馬場の時代になるのです。憲の姿を杉本鷹の運営する高田馬場の「職場美術協議会中央美術研究所」に見ることが出来ます、同所の開設は昭和23年2月、指導する先生がたの多くは「自由美術系であります。この研究所については『気まぐれ美術館』の「杉本鷹の日記帳から」を読んでください。

 憲の裸婦の多くはこの研究所での物でしょう、指導するというより自ら学ぶという姿勢が研究生に強い印象を残しています。
 ここの行き帰りに見つけた風景でしょうか、とても素晴らしい風景画があります、<高田馬場風景><目白風景><江戸川暮色>などですが、中でも<江戸川暮色>は私の好きな作品であります。画面の下部に川−神田川、この付近は通称'江戸川'−と道路を置き、中央部の緩い斜面には密集した家並、これはバラック住宅と言うのでしょう、敗戦国日本の首都東京のありのままの姿なのです。黄昏時なのでしょうか、家路を急ぐ人の姿が見え、家々には灯がともり、けっして豊ではないが精一杯の夕餉が支度されている、寂しい絵なんかじゃない、ほんのりとあたたかい絵だ、こういう作品を"帰りたい風景方 と言うのです。(この絵は残念ながら美術館収蔵の為、借りることができませんでした)

(続く)

Yoshioka コラム

Main Yoshioka