追憶の彼方から~吉岡憲の画業展

猪羽恵一「吉岡憲展ライナーノーツ」

(6)エピローグ

展覧会の8日目、180名分が記帳できる芳名帳は3冊目となった。これだけの人が待ち望んでいたとは思ってみなかった。色々な方と色々な話をした。数え切れない話のなか、ある画家の話一つだけを紹介し、エピローグとしたい。その画家は吉岡憲とほぼ同年代。吉岡憲が亡くなる直前、「吉岡さんはかなりノイローゼになっていて、面倒見の良い野口弥太郎さんが慶應病院にやっと部屋を用意したんだよね。吉岡さんが亡くなったのはその翌日だよ」という話だった。

事故だったのか、自殺だったのか、その答えは出せるようで出せないし、出したところで何も始まらない。けれど、やはり気になるものだ。展覧会でも何度か聞かれた。刑事的な判断をすれば自殺と思う。だが画家人生においては、引き際の方法であったのかもしれない。このまま制作を続ければ、吉岡憲自身が嫌う駄作を作らざるを得ないという不安は人一倍強かったのではないだろうか。

今回の展覧会で、好き嫌いは別にして、駄作が一点もないことに驚かせられた。吉岡憲自身が気に入らない絵は、拭き消してしまったり、処分してしまったという。つまり残したい絵と残したくない絵を描き上げた時点で選択している。だから今回の展覧会は、吉岡憲が「残したい絵」だけを展示したのであり、ある意味、自薦展であったかもしれない。

荒っぽいのに繊細。妥協がないのに窮屈にならない。自己模倣に陥ってないのに、オリジナリティを失わない。天才的な感覚と技術をもちながらも、自分に溺れない。画壇にも社会にも常に対峙しながらも、政治的でない。 様々な信念を束ね合わせ、それを一人の人間で持ち続けたのは簡単なことではなかったのかもしれない。

絶筆である「花」は、吉岡憲が亡くなった数日後、弟である吉岡美朗がアトリエで見たとき、まだイーゼルに掛かってたという。それは未完成だが、これも手抜かりのない吉岡憲らしい作品である。

猪羽恵一

父の経営するいのは画廊に勤務し、吉岡憲の画業展など展覧会をプロデュースした。現在は、本郷美術骨董館に勤務。