追憶の彼方から~吉岡憲の画業展

猪羽恵一「吉岡憲展ライナーノーツ」

(3)吉岡憲と原精一

話は飛ぶようだが、平塚市美術館で行われた「原精一展」(2002年11月)を見た。すでに吉岡憲展の企画が決まっていたので、吉岡憲と原精一の接点を探りたかった。吉岡憲と原精一とはジャワで出会い、一緒にスケッチをしている。また二人は戦後に仙台で絵画講習会を指導している。と書いた洲之内徹の画廊には原精一がよく出入りしていた。気まぐれ美術館・吉岡憲部門の相談役でもある。吉岡憲と原精一との関係は深いとにらんだ。「ネタはつかんでいる、あとは現場検証だ」と鼻息荒く、絵を見始めた。

それにしても原精一が「笛吹き」を描いているとは思わなかった。しかも仙台ホテルにある吉岡憲の「笛吹き」と同時期である。画風や構図は違うにしても、同じ少年をモチーフにした大作であり、力作である。示し合わせて描いたのか、どちらかがヒントを得て描いたのか。あるいは単なる偶然なのか、それはわからない。ただ仙台の「笛吹き」とここにある「笛吹き」を繋ぐ糸を感じて、私はそっと微笑んだ。

戦時中に描いた「語らい」という大きな水彩画があった。兵士が休憩をしている図だが、大きな画面にもかかわらず、大胆な筆さばきで、グラッシ(お汁描き)で一気に描き上げている。きっちりと細部が描かれた絵よりも、臨場感のある絵だと思った。ここにも吉岡憲の繋ぐ糸がある。直感的にザザッと描きあげ、その残された筆跡にこそリアリティがある、という一つの結論に二人は達したのではないだろうか。

「原精一展」から帰って来てからは、吉岡憲と原精一の年表を睨めっこしながら、再び空想の中で、様々な糸を結んだりしてみた。戦後、二人は同じような道を歩んでいる。復員後2年目で、二人は各団体の代表画家が出品できる美術団体連合展に出品している。画壇での評価も上がり、日動画廊の長谷川仁も二人の才能を大きく買っていた。画壇のスターに仲間入りしたのである。しかし1950年頃から画壇は抽象の時代へと入っていた。二人は具象画家として、そうした状況とも戦わなくてはならなかった。そして頑固にも具象画家を通しぬいたのである。 一方、風貌は正反対である。がっちりとした体格で、鋭い目つきの原精一と、細くて学者のような吉岡憲。この二人の間では、一体どのような会話が交わされたのだろうか。

1956年吉岡憲が自殺した翌年、原精一は渡欧する。カンパを募り、多くの人の援助を受けての渡欧だった。多くの人の好意に感謝する気持ちとともに忘れられなかったのは、吉岡憲の死であろう。原精一のフランス時代の風景画は、多分に吉岡憲の影響を受けていると思う。原精一はフランスの風景を見ながら何を思い出していたのだろうか。

猪羽恵一

父の経営するいのは画廊に勤務し、吉岡憲の画業展など展覧会をプロデュースした。現在は、本郷美術骨董館に勤務。