写実の求道者・後藤禎二に捧げる再評価への序章
 ――その形而上学的リアリズムについて

岡部昌幸(美術史家)

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そんなとき、いのは画廊から、画家のご遺族から連絡があったことを知らされた。長男が著名な写真家の後藤九さんで、私の購入した少女像は妹さんを描かれたものだという。しばらく間があって、二度目に電話をいただいたときのことである。最後に私の出身大学の恩師である美術史学者・橋榮一先生のことが話題に出され、実は九さんと先生は暁星の同窓で無二の親友であると知らされたのだった。私の記憶の間近に、突然この画家が出現したのである。そして後藤九さんが今も住む後藤禎二のアトリエ・旧居を訪ねたのは、回顧展の決定後の7月も末のことだった。が、間もなく、病魔に冒されていた橋先生は重篤となり、8月初め帰らぬ人となった。なんという奇縁、めぐり合わせであろうか。

 ビザンチン美術の専門家であった先生は、優しさと厳格さを合わせもっていた。プライヴェートを明かさない先生が、ふと講義中に写真家の友人のことを親しげに話されるときがあった。そういえば、私が学生で講義の手伝いをしていたとき、教室にいたこの写真家を先生の研究室に案内したことがあった。その方が後藤九さんであったのだ。

 美術を志した少年時代の先生は、同窓の生徒の父が画家であることを知り、友人に紹介された。その絵画論も愛読したという。先生は講義で語られた。写実にはさまざまな写実があり安易に写実といってはならぬ。また安易に影響といってもならぬ。「写実」という言葉を口に出されたときの先生の、凛として居住まいを正された姿を忘れられない。その先生の出発点が後藤禎二にあろうとは思ってもみなかった。こうして私には学問・人格とも遠く届かぬ存在に見えた先生が、初めて等身大の姿に見えた。今回の回顧展の実現を望まれていたのは先生で、本当は図録に文章を寄せる筆者にはその芸術を知る先生が最適だった。それがならないのは無念であるが、ここに西洋美術の本質を追及した後藤禎二の影響下に、西洋美術史の基本にある中世の権威ある研究者が生まれたことを記しておきたい。

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岡部昌幸「写実の求道者・後藤禎二に捧げる再評価への序章

後藤禎二展

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