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- 昭和の洋画
パリの留学生
昭和初期には日本洋画壇の制度はほぼ確立した。エリートコースは、東京美術学校→帝展の特選→パリ留学であった。本場の西洋画に多大な影響を受け、最先端の画風を習得し日本で活躍した。また東美卒業生以外にもパリに修行に行く画家たちもいた。
薩摩治郎八のグループ
東美の卒業生だけでなく、上流階級に属する画家たちも多くパリを目指した。いわゆるエリートたちとは一線を画した自由奔放な画家たちもパリに存在した。その自由さは大富豪・薩摩治郎八のような援助があったことも大きいだろう。そして自由さは世界と対等に戦わなければ生き残れない立場にいることも意味し、かえって個性を追及した方向性を生んでいる。
アメリカン・シーン
昭和初期、パリに比べればアメリカは画家の修業場ではなかったかもしれない。しかしながらスクールなどで学び道を開いてきた日本人画家たちは、欧州とはまた別の切り口での洋画を表現してきた。
渡英画家
フランスやアメリカに留学する画家は多かったが、イギリスに行く画家は少なかった。イギリスは18世紀から続くロイヤルアカデミーが存在していて、油彩画の後進国である日本から入れる余地はなかった。その中で奮闘したのが栗原忠二だった。ターナーに心酔した栗原忠二は渡英し、ブランギンに師事した。1919(大正8)年英国王立美術家協会の準会員に推された。弟子に高橋亮がいる。
『薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち』(1998)徳島県立近代美術館
『アメリカン・シーンの日本人画家たち展』(1995)練馬区立美術館
『近代日本美術事典』(1989年)講談社
『20世紀物故洋画事典』(1994年)美術年鑑社






