東京高校卒。京都帝国大学を中退し、1934-36年欧州、ロシアなど滞在。パリでマチスやフランドルに師事。サロン・ドートンヌなどに入選。36年より独立展に出品し、38年独立協会賞、41年I氏賞、42年岡田賞を受賞。43年同会会員。48-53年三岸節子と別居結婚。52年北米・南米に渡りブラジル、サンパウロなどで個展。49年画号を圭哉と改め、54年以降は恵介と号した。61年まで独立展に出品。63年食道癌のため歿。