京都西陣の商家に生まれる。京都府立一中卒後、東美に入学。美校卒業を俟たずベルギーに渡り、点描技法を修得。帰国した1913年の大正博で等賞、14・15年文展二等賞。16年には文展推薦となる。19年帝展審査員。帝展審査員を歴任しつつ、36年に紫野洋画研究所を開設。翌年華畝会を主宰して後進を指導。47年京都市立美術専門学校教授、50年京都学芸大学教授。
その他の作品
太田 喜二郎「薪割り」 1915年